ウツギの日々趣味日記

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熊沢重文騎手が11月11日付で引退発表、昨年の怪我完治せず…

jra.jp

10月30日、昭和・平成・令和に亘り、平地・障害競走で数々の名馬の鞍上を務めたレジェンド、熊沢重文騎手が11月11日付で騎手を引退する事が発表されました。

熊沢騎手は昨年2022年2月の落馬で第2頸椎(けいつい・脊椎の首部分です)を骨折。長いリハビリ生活を経て今年復帰したものの、頸椎の怪我は完治しておらず、今後日常生活で転んでも危ないとドクターストップを受け、引退を決断したそうです・・・。そんなに危ない状態だったなんて・・・。

戦場を選ばず駆け抜けた37年

熊沢騎手と言えば1988年に10番人気コスモドリームでのオークス制覇や1999年に大本命メジロマックイーンを突き放したダイユウサクでの有馬記念勝利、2005年のテイエムプリキュアでの阪神ジュベナイルフィリーズ勝利と、意外な馬を勝利に導き、1996年にエイシンワシントンでフラワーパークと激しく短距離王を競ったスプリンターズS(2着)など、数多くのドラマを生み出してきた騎手です。

更に、平地競走だけでなく障害競走でも数多くの名馬の鞍上を務め、2012年にはマーベラスカイザーにて中山大障害を勝利。平地・障害の両G1制覇と言う快挙を成し遂げました。

そして私の大好きな馬、ステイゴールドの大恩人でもあります。私が競馬史に興味を持ち始めたばかりの頃、騎手はただ馬に勝利を齎す存在であるというだけでなく、馬にレースを教える存在だという事を教えてくれた最初の騎手が熊沢騎手でした。名手が匙を投げた彼に跨り、33戦という長い期間、走り方にも性格にも癖のある彼に辛抱強く向き合ってくださいました。

熊沢騎手が鞍上である期間がなければ、乗り替わり後の目黒記念や日経新春杯の勝利も、ドバイシーマクラシックでのファンタスティックライトとの手に汗握る戦いも、香港ヴァーズでエクラール*1に届いた末脚も無かったと私は思います。

そんな偉大な方がこんな形で引退というのはとても寂しいですが、どうか、今後はご自身の身体を第一にお過ごしください。お疲れ様でした。

関連記事

戦績など見やすかったのでJRA公式の発表記事もどうぞ。っていうか1986年デビューって事は2年でG1……。

news.netkeiba.com

2023.12.24追記

12月23日、熊沢騎手の引退後インタビュー記事がNumber Webに掲載されていたので追加しました。ダイユウサク、ステイゴールド、マーベラスカイザーに関する記事に加え、コスモドリーム(1)、エイシンワシントン(3)、テイエムプリキュア(3)の話も載っていたので気になる方は是非。良記事です。

関連レース

今回記事を書くにあたって上のレースを全部見直しました。書くからにはステイゴールド以外も一通りは網羅しておきたいな、と・・・。 

エイシンワシントンについては、熊沢騎手について調べる時にファンから良く言及されている馬でした。G1勝利が無い為報道記事では挙げ辛い名前だったようですが(やっぱ心情的に引退する騎手については勝利を語りたいじゃん…?)、フラワーパークとの熱戦を演じた名コンビとして、あえて列記させていただきました。マジで熱いんで知らない方は是非!

ステイゴールド関連(熊沢騎手鞍上での好走レースと、ラスト騎乗)

自分用。本当は末脚の片鱗が見える阿寒湖特別の動画も見つけたかったのですが、Youtubeで単体で上がっている動画は見つかりませんでした。ニコニコ動画の方にはあります。

 

 

 

 

(2023.10.31 微修正)

*1:Ekraar。エクラーと表記される事もあります。表記揺れがあるので今回はgoogle検索した時に出やすいこっちを採用しました。