ウツギの日々趣味日記

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「“性暴力”裁判 被害女性が語った15分のことば」という記事について思うところ

朝、何気なくTwitterを眺めていたらこのような記事がトレンド入りしていました。

www.nhk.or.jp

私は、こんな当たり前の主張が称賛される社会に絶望しています。この主張は、わざわざ性暴力に遭った人間が命を費やさずとも、当然のものとして社会が認識しているべき内容です。こういう主張を被害者がしてくれるまで待っているような悠長な社会がある限り、このような罪は軽んじられ続けるのだろうなと思い、とても悲しくなりました。

特に吐き気がしたのが以下の弁護側の主張です。

検察が主張したのは「強制性交等致傷罪」。暴行や脅迫を用い強制性交等を行った結果として相手を負傷させた場合に成立します。検察は、事件が原因でPTSDという心の傷を負わせているのは「強制性交等致傷罪」にあたるとして、懲役10年を求刑しました。

それに対して弁護側が主張したのは「強制性交等罪」でした。「被告人の行為によってAさん(そよかさん)がPTSDを発症したことは争わないが、強制性交等の被害に遭った人は、何らかの精神症状を来すのが通常であり、Aさんに発症したPTSDの症状は、強制性交等の被害に遭った人が通常被り得る程度のもので、強制性交等致傷罪は成立しない」として、刑期は5年6か月が相当としました。

PTSDになる事は通常でしょうか。日常生活が送れなくなるほどの症状があるからこそ症状名が必要なのであって、これを「通常」と表現する弁護側は、たとえ加害者の弁護が仕事だとしても異常だと思います。結果的には検察側の主張が認められ、懲役10年の判決が下りましたが、「被害者」の人生の一切を破壊した加害者がこの程度の罰で許されるというのもおかしな話です。加害者はこの判決に対し控訴しています。

性暴力というのは、「被害者」が指摘する通り、それまでのその人物の人生、大好きな物や情熱を注いできたもの、喜びや悲しみをすべて無視し、ただ性別や肉体という記号として扱う卑劣な行為です。これは加害者が当初、示談金で事を済ませようとしていた事にも良く現れているでしょう。お金で買える「物」だという扱いなのです。そういった、他人を物扱いする人間が容赦される社会は異常だと思います。

この社会のゆがみに対し無力な自分自身に恥じ入るばかりです。早く「被害者」の主張が当然になり、人間が人間として尊重される社会が来ることを願います。